50歳 プロ・ダンカー

ジアニマル

DISCOVER

HIW AWARDS

1997年: Slam Nationを共同創業

1997年: 走り高跳び2.18mを記録

2005年: オールスターゲームLNBダンクコンテスト優勝

2006年: ハイキック世界記録樹立(3.03m)

2007年: 人気ゲーム『NBA 2K8』にモーションキャプチャーとして出演

2009年~2011年 : 欧州ダンク選手権・世界ダンク選手権 運営者責任者 

2020年: ワールド・ダンク連盟設立

ジアニマル

「スラムダンク」 アドレナリンと歓声が産声をあげるその瞬間。これこそ、バスケットボールにおける最高の瞬間であり、言葉では語り尽くせないアートだ。日々その美しさに磨きをかけるアスリートたち。カドゥールもその一人だ。20年以上に渡って、パイオニアとして世界中のダンカーにインスピレーションを与えている。

(引用:rançois Chevalier, Telerama)

THE DUNKFATHER

" No brain, no gain " 「思考なくして、収穫はない。」

1m78cm

Height

身⾧ 178 センチ、50歳。スラム・ネーションの世界ツアーは、NBA を中心に、世界中で反響を呼んだ。運動能力、柔軟性、創造性、揺るがない精神力。「センスがないから、背が低いから、どうせムリ」とダンクを諦めていません か?

1m47cm

VERTICAL JUMP

NBA 選手のコーチも務めた Kadour Ziani 「身⾧が足りないから」とダンクを諦めていませんか? ダンクの実現に、高度な機材やウエイト・トレーニングは必要ありません。柔軟性と耐久性を 維持したうえで無理のないダンク・ライフを実現させます!

+400

DUNK SHOWS

NBA のハーフタイムショーで脚光を浴びた、ダンクイベント「スラム・ネイション」世界 30 ヶ 国、約 400 回ものダンクイベントを開催し、遂に日本上陸

The Zianimal story

幼少期

アルジェリア移民の息子で、13人家族の9番目として生を受けた。故郷であるフランスのオート=マルヌ県サン・ディジエのヴェール・ボワ地区では、暴力・人身売買が多発しており、彼自身も貧しい家庭環境で育ってきた。そんな中、16歳でNBAに出会った。マイケル・ジョーダンに憧れ、彼自身もダンクを決め、空を飛び、生い立ちから自らを解放することを夢見るようになった。"地上には、障害物が落ちている事もあります。でも、空を飛べば障害物はないんです。"

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青年期

1989年、VHSテープや雑誌でNBAの存在を知る。15歳のカドゥールは、同級生のようなオシャレな服を買う金銭的余裕はないが、代わりにマイケル・ジョーダンに憧れ、研究した。身長を理由に諦めたくない。7つのポーズの原点は、スラムの中にある小さな公園で始まった。1997年、24歳。世界最大のダンク団体である、スラム・ネーションの一員として、キャリアをスタートする。

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デビュー期

1999年、スラム・ネーションは、シアトル、ニュージャージー、シカゴ、そしてマイケル・ジョーダンが降臨していたユナイテッド・センターへの3日間のアメリカツアーに出発した。アスリートとしての絶頂期に差し掛かり、パワーと柔軟性が調和した時にのみ生み出せる最高のジャンプ、それを向上・維持するためのルーティンを掴みつつある。また、アスリートであり続けるためのマインドセットの重要性も感じ始めた時期である。 

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世界ツアー

2003年、バスケットボール界の新星トニー・パーカーの招待を受け、サマーキャンプでのイベントへゲスト出演。「360°コブラ」(ゴール前で体を一回転しダンクをする技)を披露し、注目を浴びる。これを機に、スラム・ネーションは、フィリピンからガイアナ、ルーマニア、イタリアを経由してロシアまで、4大陸を回るワールドツアーに乗り出す。

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キャリア晩年

2000年代後半、友情を共有したかつての仲間たちが引退し始める。セカンドキャリアを意識するようになり、またそれは長い葛藤の始まりでもあった。ダンクがオリンピックの種目になってほしい。これまで培ってきた7つのポーズの傍ら、精神的な探求がこの時始まった。「山に登っているときは、希望がある。頂上がある事を知っているから。でも、山を降り始めたときが、新たな始まりだと思う。悲しみと向き合いながら、降り方を考えないといけない」。指導者としての一歩を踏み出しつつ、彼自身も研究の道を歩み始めるようになる。

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現在

2006年、カドゥールとスラム・ネイションを特集したドキュメンタリー映画『Flying 101』が制作された。50歳となった今、現役でありつつ、ダンクがオリンピック競技になるよう普及活動を続けている。 2020年、スポーツ選手のパフォーマンス向上と、選手寿命の延伸を目的に、ジアニ・アカデミーを設立。

Source textes : François Chevalier, Telerama         —       (引用: フランソワ・シュヴァリエ、テレラマ ) 原文➡            

動画再生

ドキュメンタリー

2006年撮影、アメリカ滞在記ドキュメンタリーをご覧ください。  


DVD『Flying 101』より


私が年齢の制限を突破して、どのように極限まで自分の能力を高めてきたかのヒントを知ってほしい。

ユーザーボイス

Paris Mixtape Game(2003 年)ハーフタイムショーで、カドゥールのダンクを初めたけど、チーム全員が言葉を失ったよ。カドゥールは「魅せる技」を知っているね。彼のプログラムには太鼓判を押すし、世界トップクラスのはずだ。リアルで彼を見たからこそ言える事だね。
The Professor
Streetballer
カドゥールは、筋肉量ではなく、「筋肉の質×柔軟性」に初期から着目し、研究を続けている。私自身もダンクができなかった当時と比べ、肉体の内なる変化に敏感になった。身体の声に耳を傾け、自然と修正をし、やがてはその高みを追いたくなりトレーナーになった。これまで、1,850人以上のアスリートの膝を施術してきたが、私のキャリアのきっかけ、メンターは間違いなくカドゥールである。
Ben Patrick
Founder of "knees over toes"
カドゥールは歴史に残るダンカーだと思う。少林寺の僧侶のように体を使うし、最適化されたトレーニングが詰まったジアミ・プラグラムは最高だ。努力の先に、達成したい目標がある。彼と彼の教え子達は今日もトレーニングを続けているよ。
Saba Airboy Nergadze
Dunker